魔の音域

自分の音域を知りたがる人は多い。
最低1オクターブ半くらい出ていれば、まぁ、かなりそれなりに歌えると思われる。
ただこれは、「声が出る」だけであって、複雑なメロディーや音楽的表現を加えるとしたらもっと難しい話になってくる。
広い音域を持っていても、使いこなせなければお話にならない。

かつて所属していたゴスペルクワイアに、自称「ヴォイストレーナー」を名乗る男性がいた。
一応、私にとっては同業者である。
私は、初対面の相手とか同業者あるいは音楽・音声表現を学ぶ人が集まる場所においては、なるべく自分の職業は明かさないようにしている。同業者だと妙に対抗意識を燃やされ、学習者は逆に専門的なことをいろいろ質問してくる。レッスン以外でそれを答えるのは、私にとってはタダ働きとなってしまう。ついつい丁寧に答えたくなってしまう自分の性格をよく理解した上で、なるべく仕事の話をしないようにするのが得策なのだ。

さて、その自称「ヴォイストレーナー」君、一応男性メンバーの中ではそこそこ歌える部類に属していた。そもそもがアマチュアのクワイアなので、趣味でやりたい合唱団の延長みたいな感覚のメンバーばかりだった。そんなわけで彼はテノールのソリストに選ばれた。運良くと言うか何と言うか、ソプラノのソリストは私である。

彼は張り切った。自分が先陣を切ってこのクワイアの音楽をまとめなければならないと思ったらしい。
ディレクターは黒人の神父様で、あまり日本語が話せない。通常は通訳がついていた。
そのディレクターによるプライベートレッスンもあったが、英語でのレッスンとなってしまうので受けかねているメンバーも多数いた。私も1回しか受けていなかった。
そういうわけで、他のメンバーのヴォイストレーニングを始めてしまったのだ。
「声をもっと頭頂部に向かって出して!」とか、「口はもっと縦に開けて!」とか・・・

・・・それではママさんコーラスみたいな歌声になってしまう。

元来、ゴスペルは「god-spell」(福音)の意味で、“神を信仰する気持ちがあれば、おのずと音楽はまとまるもんだ”という感覚がある。声の調和によって音楽を造り上げていく合唱とはちょっと違う。合唱では、個性の強い声はあまり歓迎されない。強い個性は調和を壊してしまうからだ。合唱にハマる人は、「みごとに調和した声の渦の中に自分の声も溶けこんでいく」感覚にハマる。
ゴスペルは、声の統一を強要はしない。個性的な声が信仰によってまとまっていく事を受け入れている。

合唱もゴスペルもどちらも好きな私としては、この二つの音楽の違いを楽しみたいのである。

そして彼は、自分の音域の話をはじめた。
曰く、「まぁ、普通の人は1オクターブ半くらい音域があれば良い方だよね! 僕は2オクターブ半くらいは出るんだけどさ。僕の人間性は音域に比例してるんだよ!ははは!!!」
それは、人間性としては広いのかどうか・・・

それまで黙って彼の言う事を聞いていたディレクターの通訳が、とうとうたまらなくなって言った。
彼女はディレクターと私のプライベートレッスンに立ち会い、私の職業と音域を知る唯一の人であった。

「・・・じゃあ、majuは4オクターブの人間性ってことだね!」

私の4オクターブはあくまでも出るだけ。そんなに使えません。人間性も広くありません。
でも、彼がその後おとなしくなったのは言うまでもない。


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